その9


15日!!
とうとう登場します。

セリス・ホワイト樽生!!

グーデン・ドラーク クリスマスも!!

ヒューガルデン・ファンの方は必飲のこのビールです。

お客様への感謝が一番ですが、

売り始めるとついつい遅れてしまいがちなので、

この場をもってお礼をさせていただきます。

「まず、私達のベルギービールへの想い、情熱に賛同いただき、このビールを輸入する事をお手伝いいただいたたくさんの皆様、心よりお礼申し上げます。
Tさん、Sさん、Aさん、Iさん、Yさん、そしてNさん、Yさん等、皆様の協力なしにこのビールを日本に輸入できませんでした。いつも生意気な私ですが、これからもよろしくお願いします。」

さて、

↓↓説明をもう一度↓↓後に英語の説明もいれてます。ぜひ外国人のホワイトビール好きの方にもぜひお教えください。

【ピエール・セリス氏とホワイトビールについて】
このビールを説明するにはヒューガルデン・ホワイトの誕生からひもとかねばなりません。
ベルギーのルーヴァン(世界一のビール会社インベブの本拠地)近くにヒューガルデン村はあります。その昔、この地方で栽培される小麦を利用したビールが盛んにこの地方で作られていたのです。当時は小麦以外の麦も様々に使われていたようです。
この長年にわたる醸造の歴史によりホワイトビールに適した酵母が出来上がっていったと言われています。
ヒューガルデン村の文献には、既に1318年にはビールが醸造されていたとあり、実際ヒューガルデンのビールのラベルにもsince1445と書かれている事からもホワイトビールの歴史がわかります。

一時はこの村周辺だけで50以上の醸造所がホワイトビールを作っていたものの、世界中がピルスナータイプのビールが主流になるなか、競争に勝てず次々と醸造所がなくなっていきます。
1957年 ヒューガルデン村最後のホワイトビール醸造所であるトムシン醸造所も閉鎖してしまいます。

トムシン醸造所の隣に住んでいた牛乳屋のピエール・セリスは
(偶然、白つながり、、とMJの本には書いてありますが、(笑))
村からホワイトビールがなくなり、それから何年か立った頃でも村の会合などでホワイトビールを懐かしむ声を聞き、ふと考えました。
「自分がホワイトビールを作り直したら、なつかしがっている人達相手に売れるかもしれない。。」
これが彼のアイデアでもありました。そして
廃業したレモネード工場から設備一式を買いとり、ホワイトビール造りを始めたのです。

ヒューガルデン村で復活したホワイトビールという事で村の名前をビールの銘柄としました。醸造所の名前は当時はデ・クライス(修道院)といいました。
昔のリバイバルで売り出そうと考えたピエールセリス氏の予想ははずれます、、といってもうれしい誤算。
昔のビールのリバイバルのつもりが

実際には若者に爆発的な人気をはくしはじめたのです。ピルスナーになれた若者にとってはそのフレッシュな飲み口、フルーティーな味が逆に新鮮に感じます。マイケルジャクソン氏の本によれば、酵母(澱)が健康的なイメージとして若者に人気が出たと書かれています。
口コミでホワイトビールの噂は一気に広まり、ヨーロッパ中からヒューガルデンを求めて醸造所にビールを買いに来るようになるのです。
1967年に750hlだった生産量は1985年には75000hlとなっていました。
ところがその1985年 ヒューガルデン醸造所(当時はデ・クライス醸造所)は火事で一部が焼失してしまいます。セリス氏一人の財力では再興することができず、現在世界一のビール会社インベウ゛社(前インターブリュー)の傘下に入ることによりヒューガルデン醸造所を復興させる事にしました。
これによりセリス氏はヒューガルデンの味わいは今日に引き継がれなくなったと語っています。

しかし、セリス氏のビール造りへの情熱が失われる事はありませんでした。
ヒューガルデン醸造所の再建に力を尽くしたセリス氏には次の夢が生まれます。
それは当時、マイクロブルワリー熱が高まって来ていたアメリカで自分のホワイトビールをまた広めたいという夢でした。
1992年にアメリカに渡り、テキサスのオースチンに自らの名を関したブルワリー「セリス・ブルワリー」を設立し、セリス・ホワイトというホワイトビールの醸造に再び挑戦します。
その他、セリス・グランクリュやセリス・ペールボック等、またフルーツビールまで様々なビールを醸造します。
軌道に乗ったかのように見えた、セリスブルワリーでしたが、
またもや?1995年にミラー社に買収されてしまいました。いまではミラー社がセリス・ブルワリーを閉鎖。

その後、セリス氏は
ヨーロッパ向けにデ・スメット醸造所(現アフリゲム醸造所)にて
セリス・ホワイトと新作グロッテンビアのライセンス生産を始めますが、
デ・スメット醸造所がオランダ・ハイネケンに買収されてしまい、
醸造をヴァン・スティーンベルグ醸造所とセント・ベルナルデュス醸造所に
移して現在にいたっています。

Celis White is a world-class beer that accurately exemplifies the specified Belgian-Style Wit, displaying the proper balance of taste, aroma and appearance.

In literature of Hoegaarden village, Belgian brewing was born in 1318. At once time, there were over fifty breweries all brewing メwhite beerモ in this village, but most were lost out to others. With the market for メwhiteモ and specialty beers dwindling, the Tomsin Brewery, The last remaining brewer of white beers, closes after ninety-seven years.

Pierre Celis was born and raised in a milk production located near Tomsin Brewery. In the summer heat of 1965, Pierreユs neighbours again claimed for the refreshing taste of white beers.
Pierre cobbles together the makings of a brewery, called Hoegaarden Brewery named after his hometown Hoegaarden, and single-handedly reinvents the white beer again.
Distressingly, a fire has destroyed the Hoegaarden Brewery in 1985, Pierre entered into an agreement with large national brewer Stella Artois (later known as Interbrew).

At the age 65, Pierre wanted to introduce America to the rich brewing tradition and so he once again built a brewery in Austin, Texas. He repeated his success story and since April 27, 1992, Americans too are now drinking our Belgian white beer: the Celis White.

Celis White has claimed a Gold Medal at the 2003 Great American Beer Festival, also many others in past years. Pierre took his experience at Hoegaarden (the world-wide known white beer) and greatly improved it in Celis White.