ヒューガルデン、そして私達が直輸入しているセリス・ホワイトの父、ピエール・セリス氏が
4/9 夕方にティネン(ヒューガルデン村近く)にて永眠いたしました。享年86歳。
2、3ヶ月前までヒューガルデン村の自宅にて療養していたようですが、症状の悪化によりティネンに移っていたとこの事です。
※下記の画像の転載は固く禁じます。
↑自身のグロッテンビア(洞窟で寝かせるビール)を味わうセリス氏
詳しくまた、セリス氏の一生をこちらに記したいと思いますが、こちらにも今の想いも含めまして記載します。
もともと、僕がベルギービールの直輸入を始めたいと思ったのはヒューガルデンを作っているセリス氏がヒューガルデン醸造所を火事が原因で売却した後にすべてをかけて醸造した「セリス・ホワイト」に興味を持ったのが最初です。実際にベル・オーブで最初に輸入したビールもセリス・ホワイトでした。初めてのコンテナが到着した時の気持ちは今でも忘れる事は出来ません。
僕にとって世の中にホワイトビールという分野を作り上げた彼は本当にヒーローでした。だからこのブログのトップのフラッシュにもセリスさんとのツーショット写真をずっと載せています。セリス氏に初めて会った日の深夜にデリリウムカフェでヒューグのディビッドと出会い、デリリウムカフェを日本で展開することも出来ました。あの日に何か人生が変わったと自分では思っています。本当にビールの神が降り立った日だったのです。
セリス氏はヒューガルデン村付近で作られなくなったホワイトビールの「ヒューガルデン」醸造を始めたが、火事で醸造所をインターブリューに売却(現アンハイザー・ブッシュ・インベブ)、その後、アメリカに渡りセリス醸造所を立ち上げ、セリス・ホワイトを醸造。
また、洞窟で寝かせるグロッテンビアなども発表し、世界を驚かせましたのも彼です。
しかし、二月にベルギーを訪れた際はもう余命1ヶ月ほどで家族しか面会不可能と聞いていました。それでヒューガルデン醸造所に訪れたくなり、ジャンデラン醸造所の帰りに一緒に醸造所に訪れながらヒューガルデンを飲んだ事を思い出します。
そのような方の作るビールを直接輸入し、お客様に届ける事が出来る僕らは本当に幸せだと噛み締めています。
セリス氏の情熱は海を超えて日本に届き、様々なベルギービールファンを生み出したと言っても過言ではありません。これからも彼の想いを日本で広げていきたいと思います。
菅原