その8

カールがコルトレイクの駅まで送ってくれ、
別れの挨拶。
そこから電車一本でブルージュへ。

私達は「ブルージュ ストラッフェ ヘンドリック」も輸入しているし、
山下を一度案内した方がと思ったので、一日のうち1醸造所のみの訪問であったこの日に向かう事にしていた。

早速ブルージュに到着。

しかし、すでにあたりは暗くなりかけていた。
少し、飲み過ぎて遅れてしまったようだ。夕方くらいになると
ブルージュは小学校、中学校から帰宅途中の学生が多くなる。

ここでブルージュはベルギーを代表する観光地として知られ、
これからブルージュへ旅行に行かれる方も多いと思われるので、
説明を少々。

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9世紀からブルージュの町はすでに歴史に名を残し、
ハンザ同盟の町として13世紀にはヨーロッパを代表する貿易、金融の中心として繁栄しヨーロッパ随一の商業都市となった。
15世紀にはブルージュの運河に土砂が堆積する問題によって貿易の町としての役割を急激に失っていく。
しかし、町並みはその頃のまま残り、この町を訪れると中世にタイムスリップしたかのように感じられる素晴らしい町である。
2000年には世界文化遺産として登録され、
中世の町のままのたたずまいを残している。
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ブルージュの町は世界遺産として登録されていると知っている方も多いと
思いますが、実はこの町は3つの世界遺産として登録されている。

1.ブルージュ歴史地区
2.ペギン会修道院(ベルギー北部フランドルのペギン会修道院の一つとして)
3.ブルージュの鐘楼(フランス、ベルギーの鐘楼群の一つとして)

さて、説明はここらへんにして、
ブルージュによったからには、
ビールのアンティークを買いにブルージュのとある店による。
この店はベルギーのサッカーの強豪「クラブ・ブルージュ」の
グッズが大量に販売されている店の奥に、実はベルギービールマニアの泣いて喜ぶグッズ達が並べられている。
今回行った際は、隣りにあった少し似たようなコンセプトだった店とお店が
統合されていた。

ほんとは建築学科卒で図面でも作ろうかと思ったけど、、
そんな暇あったらって高尾に言われそうなんで辞めときました。

かなりのベルギービールグッズを買いあさり、
レジの人、これだけ包むの大変だな、、と思いながら見ていると
ふらっと三人が現れ、一生懸命グッズを包み始める。
最初は、親切な人だなぁと思ってみていたけど、
実は店員だったようだ。
「いままでどこにいたの?」と思ったが、
よくよく考えてみると、六本木のお店の私とたいして変わらない事に気づいた。

グッズのためだけに大きな旅行バックを買い、ガラガラ引き始めたが、
ベルギーの町並みのタイルはグラスにとって非常に危険、中身が心配。

そこから歩いて一分程の所に和食のレストラン
「TANUKI」に向かう。料理人のT君が1月いっぱいで日本に帰ると
いうので、会いにきました。

T君と話しながらまず、マースを飲んだかな?
その後、かねてからT君から聞いていたベルギーワインをいただく。

以前、ソムリエの田崎眞也さんに
「ベルギーのワインを輸入してみようかと思ってるんですけど」
と聞いてみた所、「確かベルギーは4つワイナリーがあったんだっけ?」
といいながら「辞めた方がいいよ。」
と言われていたのだが、いまだに興味があり、T君に相談していた。

味は、、、平均点です。。
シャルドネだし、これくらいなら値段と相談だな。とその時思った。

ブリュッセルと違ってまったく日本人がいない。
トイレに行って思ったのは、トイレがなんとTOTO製。こだわってます。

T君に明後日行く醸造所のビールをココで仕入れないの?って
聞いたらいまはまだ置いていないとの事。
(後に聞いた話では、このお店にもデリリウムカフェにも卸しを開始したようです。)

そのビールの話で盛り上がった。

食事を終えて、

山下を連れて行こうと思ったビアカフェは
「ガレ」
「ブルージュ・ビールジュ」
「カンブリヌス」

大切な大切なビールグラス達をひきずりながら
ガレへ行くと張り紙が、フラマン語読めないが
その時だけは読めた。どうやら二月まで閉店らしい、、、

ショック。山下には残念だが、ガレが飲めない私も相当ショック。
このビールを醸造しているヴァン・スティーンベルグ醸造所にはガレが欲しいって言ってはみてるのだが、、。

その後、のブルージュ・ビールジュへ。
必死の思いでまたもやグラスをひきずり到着するが、
閉店。。。。。。。

ブルージュへの1月の旅行はやはりお勧めできないようだ。

カンブリヌスは400種類を揃えるベルギーでも注目の新店。
しかもハウスビール「カンブリヌス」はヴァン・スティーンベルグ醸造所のビールだと数日前、この醸造所に行った時に話になっただけに行きたかったのだが、終電迄時間がないため。
泣く泣く帰る事となった。

ほんとに夜は悲しい一日です。
朝から昼に飲んだくれ、夜はなにも飲まないというただの危険な酔っぱらいになってしまった一日だった。