その5

突然の話ですが、

この度、私 菅原は
デ・ラ・セーヌ醸造所に出資する事になりました。
もちろん、経営経営に関わるほどの割合じゃまったくありません。
これは彼らの資金が足りないとかでは一切なく、彼らと僕らの情熱、想いが通じ合った上での事です。
おそらくベルギーの上場以外の醸造所に日本人が出資するのは初めてかと思います。

弁護士さんとも話がつまったようで
ベルナルドはYou’re one of Owner of Brasserie De La Senneと言って来たけど正直出資というよりは、改めて彼の仲間になったのかなって思います。
この出資は「うちのお店のみんながしているのも一緒だ」と彼も理解しています。

彼らが新醸造所を作ろうと奔走する時、金融危機によりベルギーのフォルティスでさえベネルクス政府(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)からの国有化されるような時代背景の中、銀行などからの資金を調達しようとしていました。

そんな中、なんとか輸入元としてサポートできる事はないか、銀行に提出資料を一緒に作ったり、僕らもそれに契約したりもして共に醸造所の移転を手伝っていましたし、銀行からの融資を僕も気にして話をしたりもしていました。
ベルギーに行く度、現状の話し合いもしていました。

そんな中、ムーデル・ランビックの地下室で二人で話している時に、少額なら手伝えるからいつでも言ってね。と確かに冗談まじりで言ったのを彼は覚えてたんでしょう。

このとき、タラスブルバ、グーデンベルグ、フォーセゾン、ジネビアクリスマスの樽生が提供されていた。ん?どこかの店みたいだな。。

銀行へ提出する書類の契約を行った記念に
ムーデル・ランビックのオーナー ジョンにもらったのが、
デリリウムカフェ トーキョーにおいてある
シュフリエ1991(限定醸造)です。この頃のシュフは本当によかったよ!とは彼の弁。

ちょうど、ジネビア クリスマスの通関が切れ、樽生を急いで店舗へ運んでいる時、彼から携帯へ電話がかかってきた。
「モシモシ、リオ?」

ベルナルド「何してるの?」
私 「何って、ベルナルドのクリスマスビールの通関が切れていま運んでるんだよ(笑)」
ベルナルド「いや~ それは気をつけてくれ、先週の金曜その樽生を飲み過ぎてやられちゃったんだよ(笑)」

ベルナルドは電話の際、必ずモシモシと言ってくる。今井さんを醸造所で雇っていた時の覚えた日本語だ。
「実はうれしい話があるんだけど、銀行から融資のOKがやっともらえたんだ!!
さらに君にデ・ラ・セーヌ醸造所のオーナーの一人として参加して欲しいんだよ。醸造所の決算書とかメールで送るから目を通してよかったら参加してよ。」

そこから話が進んで今日となりました。

3月か4月あたり、デ・ラ・セーヌ醸造所の感謝の気持ちを込めてデ・ラ・セーヌの会を行いたいと思っていますし、
そして何よりもこれまでにない、新しいベルギービールの取り組みが出来るに違いないと考えています。これが一番大きいと確信しています。

なんかいっきにブログで文にしたのでまとまってなくてごめんなさい。今後、もう少し詳細をこのブログを通じて話していきたいと思ってます。